3 失敗例
その時には、なんのお手本もなく、漠然と、
絵手紙は、
筆で描いてある。
ハンコが押してある。
絵が大きめに入る。
絵には色を付ける。
こんなイメージがありました。
これだけをたよりに、身の回りの物をいくつか書いて額に添えました。
お客さんにけっこう面白がられて、それ以来、たまに思いついた時だけ
絵手紙を書いています。
年に何度も木工作品の展示即売の機会があります。
絵手紙額を買ってくれたお客様の「これって中の絵もついてるの」とか、
「額はこれがいいけど中の絵はこれにして」などの反応を見るのが
ささやかな楽しみなのです。
ですから、友人、知人などの特定の誰かに描くのでなく、多くの人に
見てもらって楽しんでもらうのが、私の目的です。
最近ではちょこっと絵手紙のみの販売もしています。
絵手紙は書いたら〒で出すことを奨励している指導書などが多いので、
自分の描いているのは絵手紙ではないのではないかと、
考えないわけではありません。
でも、特定の誰かに書くはずの絵手紙を、
公民館で発表したり、投稿したり、コンクールに出したり、
インターネットで誰でも見れるようにすることは、
その絵手紙を出した相手以外に見て欲しいと思っている
事になります。
これは、自己表現です。私と同じです。
絵手紙という言葉も一般化して、
絵手紙という言葉自体を知らない人は、ほとんどいないと思います。
では、絵手紙とは何かと定義しようとすると、
けっこう曖昧で、人によって違うようです。
むずかしい議論はなしにしておいて、
個人的にはこんな風に感じます。
絵手紙を擬人化して例えると、
絵手紙は、見られることを望んでいる。
絵手紙が、手紙として、プライベートな目的で書かれていたとしても、
もらった人は、気にいったら部屋にしばらく飾ったりしたくなります。
文字だけの手紙では、あまり考えられない事です。
多くの人に鑑賞され、楽しんでもらう事を絵手紙が望んでいる?
そんな気がしてしまいます。
逆に言えば、
絵手紙を書いた人は、自分の絵手紙を人に見せたくなる。
なにか、ホームページ作りと似ています。
だれでもできる、身近な自己表現と言うことかな。
絵手紙は欲張りである。
言葉の内容だけでも、小説、批評、詩、俳句など、文学の世界があり、
文字の書体や表現だけで、書道の世界があり、
絵だけでも、日本画、油彩、イラストなど広い世界がある。
ついでに言えば、ハンコだけでも芸術です。
これらを自由に組み合わせることができるのですから、
絵手紙には無限の可能性があります。
複合芸術とでもいうのでしょうか。
個人的には、ちょっとミュージカルに似てると感じます。
だから好きなのでしょう。
前置き長すぎ。ここから本題。
失敗例ということなので私のオクラ入り絵手紙を紹介というか、見て
やってください。いままで人目に触れたことのない、見せたくない。
やっぱり、やめとこうか。
まあ、こんなのも今回限り。何かの参考になれば幸いです。
コタツに人がもぐるとかたつむりみたいです。それをこたつむりという
言葉と組み合わせると、面白いとおもったのですが、
かたつむりのような面白いコタツが描けませんでした。
前回のおさらいではコタツの絵にコタツという言葉は、避けるのが
原則のはずですが、この場合こたつむりという造語を
生かすために繰り返しています。
言葉のリズムが、3、4、5と続くと読みやすいのです。
ねこが こたつで まるくなる
文字は少ないほど言葉の内容を強く出てしまうので、
メッセージ色の強い言葉は要注意。
私の嫌いな説教臭さが強く出てしまってボツ。
大学卒業時に後輩達が送別会をしてくれた。とても心温まる時間を過ごせたので、それを表現するのに心のこもった時間という言葉を思いついた。
いい言葉だなあとは思うのだけどうまく絵には描けない。